ちょっと前に気になったことをまとめてて思ったんですが、僕は「その分野で偉大な仕事をした人が何年から何年まで生きていたか」を最初に調べることが多い。
これは当たり前にやっていたが意外と当たり前でもない気がしたので、少し考えてみる、
そもそもこの癖はどこから来てるのかというと、中学生の時に通っていた塾で、塾長が「社会はまず重要な出来事の年号を語呂合わせで覚えておくのがいい」って話をしていた。
例えば、今でも覚えているのが1689年から100年刻みで、権利の章典、フランス革命(1789)、大日本国憲法公布(1889)となっていて、
次は10年刻みで、1894日清戦争、1904日露戦争、1914第一次世界大戦とか、そういうのを大量に覚えていた。
高校受験で必ず一問出てくるのが、「以下の4つの歴史上のイベントを時系列純に並べなさい」という問題で、
本来は歴史の全体の流れを理解しているか問いたいのだと思うが、こちらとしてはその選択肢全ての年号を覚えているので即答できることになる。
そしてその覚えているイベントを軸として大体の時間の流れを後から整理していくような考え方になる。
修士課程の時は、自分の専門の分野がどのように発展してきたのかを調べるにあたって、著名な論文を年号と一緒に並べて、それらがその直前までのどんな問題を解消したものなのかを見ていった。
それぞれの論文の中身は一切見なくてもいいので、それを土台として発展させた次の論文の中で元の論文がどのように紹介されてるのか見れば、細かい数式は別にして歴史的にどんな価値があったのかが分かってくる。
大学院でやったのはせいぜい1970年代から2010年代ぐらいの話なので、それぞれの物理学者がいつ生まれたとかそこまでは注意する必要はないが、もっと大きな単位で、
それこそ経済学とか、日本の農業思想とかの単位で見ていこうと思えば、まずはよく名前が出てくる人が生きた年代をメモしておくと進めやすい、
一つの本とか一人の思想家の中身に注目する前に「その人はなぜその分野で価値ある仕事をしたと評価されてるのか」という外堀から埋めていきたいのだから、
でもその評価がどうだとかすら見ていく前に、まずはその人が生きた年代と著名な本が書かれた年を並べていく。
そうすれば、何が何を踏まえて生み出されたものなのか分かるし、
一番最悪なのは、一つを丁寧に見ていったものの20年後の今となっては「実は全然大した理論や思想ではありませんでした」という評価になってたりすること。
先にそれを知ってれば、元の本を見るときにも「どうせ後から否定はされるねんけどもぉ」と思いながら読むことができる。
こっちで文脈を先に設定しておくと、何のために見ていこうとしているのか、どういう位置づけで今それを見ていこうとしてるのか、焦点の当て方が安定する。
本一つ一つというよりも、その分野全体としての流れや軌跡を掴む感覚で、輪郭を立ち上げる感覚で、まずは年号から並べていくのがよくて、
さらに言えばこれは全体を捉えようとするもので、
常に今ある場所見てるものの外側にはどんな流れや景色の広がりがあるのか感じようとすることが、感覚や感性を磨くということでもある。