人生の軸を見立てる

高校の間はキャリア形成のためにひたすら勉強するしかないのでしょうか?【人生の軸Q&A⑤】

新高校一年生の島谷さん(仮)から人生の軸について質問をいただき、その後何度かやり取りをしました。

質問されて初めて出てくる話もあり、ぜひここでも共有しておきたいということで、許可をいただいたので、今後何回かに分けてQ&Aとしてお送りします。

質問1: 高校の間はキャリア形成のためにひたすら勉強するしかないのでしょうか?

初めまして。九州の新高校一年生の島谷洋介と申します(偽名)。

自分の軸の作り方、大変参考にさせて頂きました。「抽象化と統合」、そして何より、「熱中したいのではなく何者かになりたいだけ」と言う言葉に核心を突かれました。

ここからが本題です。

ブログを読んで、軸探しをする為に、紙に「質問」と「回答」をいくつも書いて、それを抽象化・統合しました。出てきたのは「かっこいい物が好き」「創作が好き」「友達と話すのが好き」「知性が好き」「利己的」。「ほうほう俺はそうなのか……」と思いました。

「で、俺は何をしたらいいん?」過去の高本さんと同じ結論に達してしまいました。ある程度の軸は見えましたが、それに安心安全大学ルートの人生賭けられますか?と聞かれたら全力で「NO!!」と叫びます。

軸探しがまだ甘いのでしょうか。自分の中の絶対譲れない軸という物が見えません。どうしたら良いのでしょうか。

高本さんのブログにもあった、「日常が人生の手段となっている」という言葉。そして、「熱中したいのではなく何者かになりたいだけ」。これを自分なりに解釈すると、「お前未来の為だけに生きんなよ」という事だと思うんです。

高校生は大学の為に勉強して、大学生は就職の為に就活して。そして、職に着いたら老後の為に働いて。老後は、自分の死んだ後のために色々して。いつ終わるんだよ!!と叫びたくなります。いつになったら、今の自分の為に生きれるのか。

ですが、俺には安心安定な未来を投げ捨てれるような、はっきりした「軸」も、「価値観」も、叶えたい「夢」もありません。今を、何で楽しめばいいのかわからない、と言い換えたら分かりやすいと思います。手元にある金額も少なく、高校はバイトも禁止です。挑戦するにも、あまり金がなく。それで、泣く泣くゲームのプログラミングを諦めました。

俺は高校の間は、キャリア形成の為にひたすら勉強するしかないのでしょうか。

返信:

島谷さん初めまして。質問いただきありがとうございます。しっかり読ませていただきました。高校の新一年生なんですね。未来ありすぎる若者ということで、本当に慎重に答えないといけないなと思うんですがw、質問を読んで僕なりに感じたことを2つ伝えさせてもらいたいと思います。

今すぐ絶対に譲れないものを必死で見つけようとはしなくてもいいのかもしれない

まずは人生の軸についてです。今読んだ感じだと、ワークをやってみてなんとなくは出てきたけど、いまいちバシッとハマるものは見つからなかった、ということだと思うんですね。これはまだ15、16歳だと仕方ない部分もあるとは思います。僕がこういうことを考えたのが20歳ぐらいの時でそれと比べても5年ぐらい早くて、それは自分のことを理解するためのデータが5年分少ないということになります。ただ、物事にはいい面と悪い面の両方が存在していて、これは自分がどちらから見るか、というだけの問題です。そうやって考えてみると、一つに定まらない、というのは必ずしも悪いわけでもなく、むしろこれからいろんな可能性をまだまだ増やしていける段階です。だから島谷さんの場合で言えば、絶対に譲れないものを必死で見つけようとはまだしなくてもいいのかもしれません。

「じゃあ何をしたらええねん」ってことだと思うんですがw、僕はまずは半年ぐらいは、今ちょっとでも心が反応するような、面白そうだと思えるようなものは全部全力でやってみてもいいんじゃないかって思います。僕も記事ではすごくきれいな形で人生の軸の見つけ方、って言ってますが、もちろん実際はそこに至るまでにも試行錯誤をしてきました。今高校一年生ということで、本当にいろんな可能性があると思っています。だからここで安易にこれをすべきだ!って言ってしまうことでそのいろんな可能性の一つでも島谷さんの中から消えてしまわないように、と思っています。日常が人生の手段にならないように、というのもおっしゃる通りで、よく記事を読んでいただいてるんだなと思いました。なので、その方面で考えてみてもやっぱり「今日楽しく、気持ちのいい一日を過ごせたか」ということに注意していくのがいいかなと。

出来ない理由を探してしまいそうになる前に、今の自分ができる形を考える

で、そのときのコツがあって、2つ目の回答になります。それは、「出来ない理由を探してしまいそうになる前に、今の自分ができる形を考える」ってことです。バイト禁止で挑戦するお金もあまりなく、プログラミングも泣く泣く諦めましたって書いてもらってましたが、もし今もちょっとでもやりたい気持ちが残ってるのなら、僕はまだ諦めるには早すぎると思います。つまり、お金がない時はないなりに「じゃあ今どういうやり方があるかな」って考えていきます。

プログラミングするだけだったらお金は多分あんまり必要ないんですね。スクールとかを想定したりもしたのかもしれませんが、まずはじめてみる段階だと少し調べるとやり方はいろいろ出てきます。僕のブログを見つけてラインに登録して質問までいただいてるぐらいなので、普通の高校生よりは感度が高くて検索する力も十分あると思います。だからプログラミング始めるにはどういうやり方があるかもう一回調べてみてもいいんじゃないでしょうか。僕も大学2年生ぐらいの時に機械学習をやってみた時期があるんですが、その時はほとんど本1冊しか使いませんでした。ある程度体系的にまとまってるものなら1、2冊あればまずスタートしてみるには十分です。困ったことがあれば YouTube 見ればいいし、エラーも今だったら chatgpt で大体は解決できます。

さっきも出てきたように、自分の未来のための手段として今日を生きる必要はないわけです。で、最高の環境が整ってないと始められない、というのは「そうじゃないとプログラミングをやることにはならない」という思いこみが、はっきりした意識にはなくても心の奥の方にはあるのかもしれません。プログラミングがしたいという気持ちに嘘がないんだとすると、今の自分がやるならどういう形があり得るんだろうかと調べることにもワクワクしてくると思うんですね。というか必死ですw、何としてでもやりたいので。もし本を買うのもちょっと高いなって思ったら、学校の図書館に行ってみると、何冊かはプログラミングの本があるので、最初はそれを借りて読んでみるだけでもいいかもしれません。

例えば、僕は最近畑をしたいなって思ってたんですね、でも畑は持っていません。親戚にも知り合いにも持ってる人もいません。買うのはいきなりの思いつきにしてはお金かけすぎです。で、「じゃあ無理やん」って思いかけたんですが、そこでもう少し調べてみると近所で農業関係のちょっとしたバイトを見つけました。給料は大したことないんですが、そんなことはどうでもいいのでとりあえず応募してみました。でも年度末ですでに定員が埋まっていたらしく採用されませんでした。でももう一回調べてみると、全然別のところで畑の手伝いの募集を見つけました。で、速攻応募して2日後に行ってきました。雑草を抜いたり、クワで耕したりしたんですが、今一番やりたいことだったので、すごく気持ちよかったです。しかも一回やってみるだけでも農業に対する臨場感や解像度がグッと上がるので、自分でやってみるにはどうしたらいいかなって考えも立ち上がってきていい感じです。今後はベランダで野菜を育てて感覚を掴んでいきつつ、もう少し広い畑の方も攻めていくつもりです。

そしてちょうど昨日なんですが、キャンプに行ってきました。最近はちょっと外に出て動いてみたい気分で、かつもっと幅広い世代の人とコミュニケーションをとっていきたいと感じていました。これまたいろいろ調べてると、小学生にキャンプのプログラムを提供する団体がボランティアスタッフを募集してるのを発見しました、で、速攻応募しました。そしてこの土日で80人ぐらいの子供とカレー作ったりキャンプファイヤーしたりしてきました。これも今やりたいことだったので楽しかったです。活動費は団体側から出してもらえるのでお金もかかっていません。

そんな感じで、お金がない、時間がない、スキルがない、と思っていても今の自分にできる形は絶対にあります。というか、絶対にあるんだと思っていないと気づけないように脳は出来ています。熱中の記事にも書いたようにスコトーマというやつです。自分がそこに意識を向けてないと脳はしんどいのでスルーしてしまうんですね。だからここの感覚がちょっと難しいかもしれませんが、「お金がないからできない」のではなくて「『お金がないからできないと思いこんだ』からできない」のほうが正しい言い方なんです。世の中には島谷さんみたいに「ゲームのプログラミングやりたいな」って思うこともできない人がたくさんいます。僕もそうだったと思います。自分の内側から「これをやりたい」って気持ちが出てこなくなってしまうんですね。少しでもやりたい気持ちがあるのに「今の自分にはできない」とか「準備が整ってから始めよう」とか思って諦めたり先延ばしにしたり気づかないふりをしていると、どんどんそんな風になってしまいます。最初から「まあ、無理か」って思考が癖になってしまうんです。そうやっていろんな可能性がなくなっていくのは本当にもったいないです。もし今はもうプログラミングに興味がないんだったら別にいいんですが、その代わり次にちょっと面白そうだなって思うことが出て来たら、今の自分ができる形をめっちゃ考えてみてください、それも面白いと思います。「どういう風にやったろうかなあ」って攻めの気持ちです。

例えば「ギターやりたいなあ、でもお金ないなあ」って思ったら、周りに使ってないギターあるか聞いてみてもいいし、中古の1万円しないようなギターでもいいと思います。そのお金もすぐにはなさそうだったら、誕生日に買ってもらうとかお年玉の前借りをするとか、メルカリでいらないもの売ってみるとか、両親に頼み込んでみるとか「ギターやるのを諦める」以外にもいくらでも選択肢があります。「もうやりたいとは思わなくなった」以外の理由であきらめるのはなるべくしないようにしたいところですね、これは僕もなんですが。「ちゃんとしたギターが欲しい」のでも「プロのギタリストになりたい」のでもなく「ギターをやりたい」んです。ぼろぼろのでもかっこ悪くても、ギターが手元にあって、弦をはじいた時にぴろんって音が鳴ってくれたらもう嬉しいんです、ギターをやりたい人にとっては。形や環境が理想のものじゃなくても現実の自分が「ギターを弾く」という行為をできていれば満足できるし、それが「やりたい」ってことなんだと思ってます。「それをやってる自分としてその時間を過ごす」ためにできることに全力を尽くす、というイメージでしょうか。もちろんこれはプログラミングでも書道でも農業でも、興味の対象が何であっても同じです。

まとめ

というわけで、最後にまとめてみると

・高校一年生の今の島谷さんの状況だと、絶対的な確固たるものを見つけようとしなくてもいいのかもしれない。

・その代わりにちょっとでもやりたいことが出てきたら、将来のために老後のためにと思わず全力でそれを楽しむのがいいかもしれない。

・お金がなくてできそうにない時には、お金がなくても今の自分ができる形をめちゃめちゃ探す。

・ちょっとでもプログラミングへの気持ちが残ってるなら、すぐにでもいい本やサイトや詳しい人が周りにいるか探してみて、とりあえず1行目のコードを書くところまではやってみるといいかもしれない。

・もし興味なくなってれば、次にやりたいことが出てきたときはその気持ちが覚める前に、その日にできることでさっと始めてみるのがいいかもしれない。

ワークに取り組んだのにはっきりした人生の軸らしきものが見えなくて少し焦りもあるかと思いますが、高校生の武器はとにかく時間があることです。だから勉強は楽しかったら一杯やったらいいんですが、それと並行して「放課後を全力で楽しむ」というのも一つの道ではあります。面白そうなことを見つけたらすぐに始められる形を探して小さくてもいいからさっと始める。おもんなかったらやめていいし、もうちょっと続けたかったら飽きるまでは楽しめばいい。

そういうことを今のうちにやっておけば、大好きなことが出てくるかもしれないし、バイトできるようになった時のお金の使い道がすでにある状態で大学生になれるかもしれません。お金があっても使い道が分からない人もいっぱいいるので、お金がなくてできない、というのはむしろ「お金を使ってでもやりたいことがある」という意味では健全だったりします。その時にまた自分の価値観や今後の人生の方向についてじっくり考えてみてもいいかもしれません。そういえば僕も昔3万円のGPUを買えずに機械学習を諦めたんですが、その時の記事があったのを今思い出しました。島谷さんの状況に近いかもしれないのでこちらも見てもらってもいいかと思います。

ちょっとのお金をケチったせいで熱中してたものを失った話

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