精神面を整える

歌の一曲すら適当に聴くから日常がおもんなくなっていく。

歌ってなんですかね。歌を聴くってどういう行為ですかね。

こんにちは、インカ帝国の首都クスコからお届けします高本です。

こないだこんな動画がおすすめに出てきまして。

Aマッソもチャットモンチーも好きな僕としては思わず飛びついてしまったんですがw、

その後改めてチャットモンチーの歌をしっかり聞いてみてたんですよね。

そしたらこれめっちゃええこと言ってるや〜んって曲があって。『レディナビゲーション』という曲名なんですが、サビがこんな歌詞。

景色を変えたいのなら
歩いて 走って スキップして
とにかく前へ とりあえず前へ
目指すは誰かの背中でもいい

物語変えたいのなら
ページ めくって 真っ白な
未来にペンで なぐり絵描いて
きれいな言葉でごまかさない
それは私だけのルート

歌自体は何回も聴いてるし、なんやったら好きな曲の一つでもあるぐらいなんですが、

歌詞までちゃんと意識してみるとこんな話してたんやと。

このブログでも似たようなこと言ってる記事はあるんですが、

新しい経験に挑戦することの意義と向き合い方について

「こんなに入ってくる表現ある?」って感じで、軽く絶望の方はさせていただきました。

で、今回言いたいのは、歌って作業しながらとか、ネットサーフィンしながら適当に聞いてしまいがちですけど、

流し聴きではなく”ちゃんと”聴く。

そうすると、45分集中するだけで面白い発見があったり、そこからエネルギーを取り込めたり、インパクトある体験ができたりするんですよね。

他にも急に動きたくなってみたり、ああなりたいこうなりたい、こんな人生がいいなと思いを巡らせてみたり。

つまり逆から言えば、なんか退屈でやりたいこともなく、爽やかに過ごせていないのは、

歌に絞れば

その一曲すら適当に聴いているから。

と言えるし、もう少し抽象度高く見れば

世界と適当に対峙しているから

とも言えます。

じゃあ歌に関して、どう捉えていけばいいのかという話でございまして。それが今回の内容ですね。

歌とは

歌というのは

その人が見てる世界の一部を切り取って、この四次元時空(現実世界)に落とし込んできたもの。

だと考えることができます。

他の創作物もそうです。漫画でも映画でも、小説でも絵でも。

その人の頭の中に広がっていて、そこで見てるものを、他の全員に共有できる形で出力したもの。

で、物理的には同じものを見ていても、他の人とは全く違った見え方をしているから、その人が生み出すものに心惹かれるわけですね。

例えば春に関して、

「ちょっとあったかくなってきて、桜も綺麗でええなあ」

って表現する人と、

春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこし明かりて、紫立ちたる雲の、細くたなびきたる。

って表現する人では、明らかに見てる世界が違うわけですよね。

そうやって違う世界の見方をしている人が表現したもの。

「どうやってこんなものが出来上がるのか」

って思うけど、それはその人が世界をそう見てるというだけ。

絵が上手い人は、頭の中にその絵が浮かんでるわけですよね。

こっちは「うまぁ」って言うけど、本人からすれば、その対象をそう見ている、それが頭に浮かんでいるというだけ。

逆に僕みたいに衝撃的に絵が下手くそな人はw、ぼんやりとしか頭に浮かんでないわけです。はっきり明確に見えていれば、それを移してこればいいだけ。

馬の絵を描くにしても、ぼんやりとしか見えていない。ざっくり「こんな感じのフォルムやろ!w」ぐらいにしか見えてない。

だから四足歩行で顔長め、ぐらいの特徴しか出てこないし、それがしっかり形に現れた絵にしかならないんですよねw

毛並みの感じとか、目の光の具合とか。そそこまで見えていない。

でも、模写とかは得意だったりするわけです。

小学生の頃は下敷きのドラゴンボールのキャラを写して描いたりしてましたけど、あれは数学のグラフ書いてる感覚に近くて。

線と線の距離はこれぐらいとか、間隔は何体何ぐらいとか。見たまんま写していくだけ。見えてるまんま描くだけなので当然上手に描ける。

で、絵が上手い人は、それが頭の中で見えてるってことですよね。

そうすると、絵が上手い人と下手な人の違いは、普段ある物を見た時に、それがどれだけクリアにインプットされているか。

つまり、

その対象からどれだけの情報量を拾えるか。

そしてこの情報量の違いは、絵が上手い下手はどうでもいいんですけどw、人生のあらゆる部分に影響してくるわけです。

同じものを見て同じ体験をしても、感じることが死ぬほど変わってくるってことなので。

そうすると、

ひたすらに世界を見る目を鍛えていけば良い

ということになる。

世界を見る目を鍛える

普段生活する中でどれだけの情報量が入ってくるか。

それは、

世界や日常を網で救った時に、どんだけの情報を拾えますか。

という話。

網目がスカスカであれば、何をしても何にも残らない。

だからその網目をぎゅうぎゅうにしていけばいい。そうすれば、軽くヒョイっと掬ってみただけで、

持ち手の金属部分がカツオ吊り上げた時ぐらいにしなるわけで、

「これどうやって食べんねん」って海鮮丼ぐらい溢れんばかりになるわけで、

片手じゃ無理で歯を食いしばって両手でなんとか持ち堪えてるぐらいになるわけで。

そんだけの情報量が拾えるようになるはず。

そうなればちょっと誰かと話しても、漫画読んでも、ふらっと散歩するだけでも。

大量の気づきが湧き出てくるし、心動かされる体験があるし、エネルギーや活力としても取り込める。

じゃあ退屈とかおもんないとかにはならないですよね。

むしろ

「人生おもろ過ぎやろw」

ぐらいw

今のに関しても、ごちゃごちゃ色んな描写入れてみましたけど、ただ「多くの情報量を拾える」と言うこともできますね。

でも、たまたま上で書いたような絵が見えたので、こう言う表現をしてみました。この方が多少印象に残りやすいかもしれないですよね、知らんけどw

とにかく、もっと繊細に世界を見れるように鍛えていけばいい、ということになってくる。

で、常人には不可能なぐらいの世界認識を獲得していったのが、世界が一変するような発見をしたり、時代を超えて人を惹きつける作品を生み出した人たちだと思うんですよね。

例えばアインシュタインは、目に見えない『場』と言うものの歪みから重力を考えて、一般相対性理論を構築しました。

アインシュタインには世界がそう見えたってことです。

話を戻しますが、もう少し言えば、

カップの形をした情報空間からこぼれ落ちた水滴が、木の机に滴り落ちて滲み広がる。そこが、現実の四次元時空だと考えてみる。

そうすると、そいつの頭の中という情報の世界がウワーッと広がってないと、豊かでないと、充実してないと、物理世界に滴り落ちてきたものはしょうもないに決まっている。

だから我々はひたすらに、自分の内部空間内部領域を育て広げ耕していきたい。

ってことになってきますよね。

その方が毎日おもろなるやんって感じですねw

改めて歌

すごく抽象的になってきたので歌の話に戻りますw

ここまでの話を踏まえると、歌ひとつとっても、適当に流し聴くのは非常にもったいない。

「いい歌やったなあ」

で終わることもできます。

でも、この歌手は世界をそうやって見て捉えている。

その人がその頭の中に実際に見てるのはもっと壮大で素晴らしく美しい景色やけど、その一部を切り取ってきてまとめ上げたものがその一曲。

取り繕った言葉ではなく、本当にその人が見た世界をまんま表現したもの。

そんなふうに考えてみる。

じゃあ曲を聴きながら、その人の世界観に浸ってみようとする。その人の世界の見方を体験してみようとする。その人が見たものの一部でも見ようとしてみる。感じようとしてみる。

そうやって聴いてみるだけで、全く違うわけで。

たった数分集中して聴くだけで、魂が揺さぶられたり、今日からの世界の見え方が変わったり、その曲から汲み取れるエネルギーが桁違いになったり。

つまりなんとなくで聴いてた時とは入ってくる情報量が違ってくる。

そうやって聞こうとすることそれ自体が、世界を見る目を鍛えて、網目をぎゅうぎゅうにする行為でもあるわけですね。

レディナビゲーションの世界へ

冒頭のチャットモンチーの歌に戻ると、一番はこんな歌詞になっていて。

いつもゴールを探してる道はばっちりナビってる今どこ走ってるかって?知らない? そんなこと?いきなり荒野で立ち往生行き先 再度検索中ナビは明日を指している壊れてる? なんなのよ?渋滞なんかしていないふと足元確かめた汚れていない 私のブーツ景色を変えたいのなら歩いて 走って スキップしてとにかく前へ とりあえず前へ目指すは誰かの背中でもいい物語変えたいのならページ めくって 真っ白な未来にペンで なぐり絵描いてきれいな言葉でごまかさない それは私だけのルート

この世界に行ってみようとするんですよね。

おそらく少女ぐらいの女の子が、あたり一面草だけ生えていて、他には何もないような荒野を走ってる。

で、行き先がわからなくなって

「どっち行ったらいいの」

って問いを投げかける。

そしたら

「明日の方向」

って返ってくる。

「何言ってんの」

ってちょっと不機嫌になるけど、パッと足元を見てみると汚れていないピカピカのブーツ。

そこで、行き先ばっかり気にして全然動けてなかったことに気づく。

そして吹っ切れて、ただもうがむしゃらに前に向かって行こう、進んでいこう。

って決意する。

こんなストーリーですよね。こういうのを歌聴きながら丁寧に思い浮かべていくと、なんというか心臓バクバクバクってなってきますねw

その曲が本来持っているエネルギーを最大限に受け取れている感。

エネルギーというかエナジーというかw

そうすると次は

「あれ、俺の今の足元どうなってるっけ」

とかまで思ってきますよね。

「うん、ちゃんと靴ドロッドロになるぐらい動き回れてるわ!」

なのか

「あかん、だいぶん前から履いてるのに新庄の歯ぐらい真っ白なんやけど!」

なのか。

後者であれば居ても立っても居られなくて、そのエネルギーで何か新たなチャレンジが始まるかもしれない。

そんな感覚というかw

別にチャットモンチーじゃなくていいので、一回自分の好きな曲でやってみてくださいw

聴き終わった時の感じ方が全然違うと思います。

「この歌こんなパワーあったんや、、

みたいな。

こんな風に考えてれば、歌一曲聴くだけでもおもろなってきますよねw

で、こういう網目をギチギチにしていく活動を一緒にやっていこうぜよって言いたいわけなんですねw

それが自分の人生をよりおもろいものにしていくってことなわけで。

人生をちゃんと遊ぼう!ってのもそんなニュアンスだったり。

もちろんこれはその一部なんですが。

なので、こういう感覚に共感してくれるのであれば、コミュニティの方にも参加してもらえればと思います。

今回は以上です。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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