全体をぬるっと潤していく。
何もないところからゼロから道を作る、川を作り出す、と思うのではなく、毎日、というか今この瞬間にエネルギーがあふれだす湧きだす場所を見つける。
それは今どこに注意が向いていて何をしたいと思ってるのかに敏感になるということで、そのスポットを見つけて、そこをスムーズに流れるようにしてあげる。
つまりそのように動き、またはそれを言葉として書き表していく。
するとそのまわりにエネルギーの水たまりができて、そこから数本の細い線が外に広がり流れていく。
そしてまた明日、その瞬間の源泉を見つけて、それを気持ちよく流してあげる。
すると自分を取り巻くある領域に複数の水たまりができていき、それらから伸びた細い水路がつながり絡まっていき、全体がぬるっと相互に関係しながら一つの塊になっていく、
その流れは時間がたつほど強固になり、水路は太くなり、強固に絡まった一つの湿地となる。
これが自分の人生ということ。
何か一つを部分として独立した状態で、あるところまで持って行こうとするのではなく、というか何もないところに何回もバケツで水を運んでいけを作るのではなく、
まずは勝手にあふれてくるポイントを、それも数十年単位で考える必要もなく、ただ今日の一日溢れていそうな、
つまり自然と流れが発生していたような何か、それは何かをやりたいということでもあり、何書きたい気持ちかもしれない。
それをはじまりとして、いや、そこは始まりではなく、実際はこれまで生きてきた中で、すでにもう湿地は出来ている。湿地に生きている。湿地を作ってきた。
そこから今日の湧き水まで近くの池や水たまりから水路を引いて来ればいい。
そうしてそこにまた一つ自分のテリトリーが生まれる。
例えば何か発信する、ということで言えば、新たに言いたいことを必死でひねり出すわけではなく、すでにあるすでにある湧き水、池、水たまりを見つけてそれとつなげるのが自然である。
ギターなら最初からベストなやり方を見つけようとしなくても、これまでさんざん聞いてきた人のアーティストのまねをすればいいわけで、全ての生活が相互に作用して一つのゲシュタルトになっている。
何か新しいことは独立の形でやらねばならないと思いこむのではなく、もうすでにあること、好きだったこと、上手くやってきたことと対応させて、まずは弱いリンクをつないでいけばいいのだと思う。
ギターをやれば書きたいことが生まれ、人と喋れば書きたいことが生まれ、書けば知りたいことが生まれ、深く調べれば、書きたいことやりたいこと試したいことが出てきて、それはまた日常の生活に還元されていく、
全ては薄ーくつながっていて、というか、切り離して考えるものではなく、全くのゼロからやるものではない。
そもそも何かやろうと思ったその気持ちすらも、その流れすらも、すでにある湿地から流れてきたエネルギーなのかもしれない。
むしろ全部をつなげるつもりで、つながっているつもりで、周りと結び付けてなるべく多くのエネルギーを引っ張ってくる形でいいのだと思う。
それはつまり自分の得意不得意を活かすことでもあって、置かれた環境をうまく利用するということでもあって。